電車の中に飲んだペットボトルや空き缶を放置して降りてしまう人の気持ちとそれを見ていた人の気持ちを考えてみました

僕は人から「常識があまりない」と言われることがありますが、必要最低限のマナーは守りますよ。というよりも、むしろマナーを守らない人に対して、憤りを感じます。

時々、電車の中で見るのが、飲み終えたペットボトルや空き缶がシートの下に置かれている光景です。どうして、ペットボトルや空き缶をシートの下に放置して、電車を降りることが出来るのか、僕には全く理解できません。

今回の記事はマナーを守らず、他人に嫌な気持ちにさせる人の気持ちや放置されたペットボトルや空き缶を見たらどうすればいいのか? 考えていきます。

マナーを守らない人の気持ち

まあ、僕が想像するに、飲み終わったであろうペットボトルや空き缶を電車に中に放置して降りてしまう人は、表面上は善良な市民で、わざと他人に迷惑をかけて喜んでいることはないはずです。

でも、本人にとってはペットボトルを放置することは些細なことで、マナー違反と思うよりも、わざわざゴミ箱に捨てるのが面倒だから、電車の中に置いておこうということなのでしょうね。

ペットボトルの放置の他に、公共の駐輪場の構内を、自転車にまたがり走っている人もマナー違反ですよね。でも、このような人って結構多いんですよ。

駐輪場の壁には、「危険なので自転車に乗らずに歩いてください」とポスターが貼っている意味さえその人たちはわからないのではと思ってしまいますよ。

駐輪場は狭く、自転車を押して歩いている人や駐輪場の出入りで歩いている人がいます。その横を自転車を乗ってすり抜けるんですよ。人が歩いている駐輪場は、商店街の歩道と同じようなものです。このような人の何割かは、商店街の歩道を自転車にまたがり走り去ることはしないのに、駐輪場の中ではするのです。

このように駐輪場の中を自転車にまたがり走る人も、マナー違反だと少しは認識しているけれども、駐輪場の中を歩くのが面倒だから、なるべく歩かなくて済むように自転車に乗るのです。

マナーを守らない人は、他人に迷惑をかけるよりも自分が得したいという気持ちが強いんですよ。多少、他人に迷惑をかけても、ケガなど危険なことにならなければ、やっても問題ないしと思ってもいるんですよ。

マナー違反の「マナー」の本質が少しわかっていないのかもしれませんよ。もちろん、マナーと一般常識は違います。マナーというのは、『その場その場においての作法で、その文化で生きるとこの行儀」とされています。

だから、電車の中での作法、駐輪場での作法があります。その作法は日常生活をしていく中で自然と身につけるものです。この自然と身につけることがその人が今まで生きてきた環境により変わるってことです。

基本的に、マナーは親から教わるものですが、僕も含めて今の親世代は、正しいマナーを身につけていない可能性があります。そのような親のもとで育った子どもたちは、マナーを教わっていませんし、親がマナーを守って行動をしていないので、自然と身につける機会さえ失っています。

そのような人に、「マナー違反だから」と諭しても無駄かもしれません。

放置されたペットボトルをどうする?

さんざん、ペットボトルや空き缶を放置しているマナー違反の人たちに対して文句を書いていますが、「お前は、放置されているペットボトルや空き缶を電車の中見つけたら片付けるのか?」と問われそうですけどね。

まあ、僕は小心者で照れ屋なので、放置されたペットボトルや空き缶を見ても、無言で片付けることはしません。黙って心の中で「悪態」をつくだけです。

人によっては、黙ってシートの下に放置されているペットボトルや空き缶を拾って捨てる人やティッシュペーパーを出して、ペットボトルを包むようにして拾って捨てる人もいます。

僕も本当は捨てるのがいいと思うんですが、なかなか正しいことができません。放置されたペットボトルや空き缶が横に倒れ、電車が揺れるたびにコロコロと右へ左へ転がる姿をイヤ思いをしながら眺めるだけです。

それでも、僕以外に誰も転がっているペットボトルや空き缶を拾うことはしません。でも、いつかは正しい心と行動を持っている人に拾われて捨てられるはずです。

マナー違反をする人は、それにより多くの人に不快な気持ちや嫌な気持ちにさせていることが理解していません。鉄道関係者がたぶん自分が放置したペットボトルや空き缶を捨ててくれるはずだと思っているのでしょう。

まとめ

常識ハズレや非常識な人は個性だと思っていますが、マナー違反をする人はゆるせません。

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